まっさらからやりなおし
こんにちは、JUNEです。
思考描写第一回は「まっさらからやりなおし」。
過去に書いていたブログがあり、続きから再開しようか新たに白紙からやり直そうか迷ったのですが、迷った理由からこちらを選んだ理由までをひとつ。
以下のファクタにおいてメリットとデメリットを考察した。
1、過去記事とこれから書かれていく記事の客観的に見た同一性
2、過去記事の読者の乖離性
3、ブログの理念との整合性
4、ブログ運営のしやすさ
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1、過去記事とこれから書かれていく記事の客観的に見た同一性について
過去には以下のブログにて記事を書いていた。
記事の内容についてはどうか?
・体験した出来事
・これについての簡潔な情動的感想
・これからの予定や日程
・関連した画像など
箇条書きに分析したものだけを見れば自分を発表するブログとして機能はしていると思うが、読みづらいしあまり読む気にならない。
まず単純に文章として価値が薄い。その日に斜め読みするだけの価値しか無い。
何年も後に読み返す利点が無い。
何故か?
ムダが多い。陳腐化しやすい表現を無理に使い、自己のキャラクターを定着させようとする意図が多分に垣間見れる。
それに比べ、文章で伝えたい事、言ってみれば「内容力」に関しての意識や努力が皆無である。
言い方、表現技法、空気を読む、、、こういったファクタはリアルタイムで面と向かって会話するときこそ必要な気遣いであるが、最終的に真に受け取る価値のあるものは「伝える内容のみ」である。本当の思いやりは内容の吟味であり、それをいかにムダ無くぼかさず伝えるかである。
どうしてこのように文章が陳腐化するか?以下の2点が原因だ。
ひとつは流行に流されているから。
理念を持たずにtwitterの文章表現、有名人のブログの書き方、テレビやウェブ放送の表現の仕方を追いかけてしまっているのだ。
もうひとつは読む相手を勝手に想像し、それを基準に記事を書いているから。
こういったものは誰が読むか分からないし、そもそも相手が本当は何を思考しているか正確に知る事は絶対に不可能だ。水が形を成さず流れるように思考は流れる。われわれは他人にその過ぎ去った断片を見ているにすぎない。
このような言ってみれば「過去においてカジュアルだった文章」とこれからの理念に伴った文章を混在させる事は読者の正確な理解や判断に支障を来す。よって、過去記事とこれからの記事は混在させたくないと判断した。
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2、過去記事の読者の乖離性について
過去記事にはそれなりに読んでくれていた読者の方達がいた。
こういう人達を一身上の都合で切り離すのは出来ればしたくない。
過去歩いて来た道や積み上げたものを無かった事にするのも好きではない。
何故か?
過去の否定は自己の選択の否定であるから。自己の選択の否定は自己の能力の否定に繋がり、未来に真の望みを見いだす妨げになり、ひいては隣人や社会の将来的な利益の獲得を阻害することになる。実は美徳とされている自己否定や自己犠牲は非生産的行為であり、非社会的思考なのだ。
過去に分からないなりに考えて選択したから今の自分があり、未来を描ける。やったことは全て今に至る必然の道であり、パラレルワールドは存在しない。現在の思考プロセスや理念と相違があるなら、それを教訓とすればいい。いや、教訓とすることが出来る一度しかない貴重な体験だったのだ。
自発と能動こそが人類の意義であるとも考えている。よって過去を消去したり破壊したりはできれば避けたい。
だが1により過去記事とこれからの記事は混在させたくない。よって過去ブログにこちらへのリンクを貼り、全てそのまま残しておく事とした。
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3、ブログの理念との整合性について
JUNEがブログで何を伝えていきたいか?読んでくれる人々に何を提供したいか?
ということは今日twitterに書いたのでそのまま引用する。
さて、ブログなんですが、まっさらからやり直そうか過去の続きをやろうか。
あー真っ新からやり直しましょう。
一つ話題を決めて、それについて熟考してる過程を帰結までありのまま書くのが見る人も僕も楽しいかと。
— JUNE (@June_g_e) 2014, 7月 10
僕以外の宇宙全てからテーマに沿った事象を抽出するフィルタリング→知り得る限りの物事や概念との照合&ミックス→新たな疑問と答の創出→統合して帰結へ
といった流れ。必ずしも万人における正解とは限らず、空想や物語といった要素も度々現れる。
それを紡ぎ、蓄積する場所。
— JUNE (@June_g_e) 2014, 7月 10
僕自身はあくまでフィルタであり、連結器である。誇示や発表ではなく、「映し出すもの」として機能したい。
何を映し出したいか。「ものさしの断片」を映し出したい。
あなたが何かに行く手を阻まれた時、その障害物が何ものなのか判断するその材料の一欠片に値するものさしの断片。
— JUNE (@June_g_e) 2014, 7月 10
何故なら、人は知ることでそこに道を見つけられるから。道さえあれば後は勝手に歩き出すから。
分からないから進めない。分からないとは自分の知ってるものに置き換えができていないという事。より正確に置き換える為にはよりバラバラに分解すればいい。その分解能力はものさしの数だけ強くなる。
— JUNE (@June_g_e) 2014, 7月 10
ものさしを沢山手に入れると見たことのないものや分からなかったものをより早くバラバラに出来る。つまり解決が最短に近づく。見えざる所に素早く道を作れる。一歩また一歩と踏み出すのに怖れが無くなる。
— JUNE (@June_g_e) 2014, 7月 10
怖れが無くなれば解放される。あなたは誰にも惑わされず、真実の望みを設定できる。そこに到達した時、人は隣人に手を差し伸べるようになる。渇きが満たされるとそのまま溢れ、心は泉になる。次なる渇きを知らずに満たしていく。
— JUNE (@June_g_e) 2014, 7月 10
渇きを満たし、泉となる個体は増え続ける。泉から湧き出る水が集まり、池となり海となる。個は集合を満たし、集合は個を満たす。平面を海が満たすと、今度は海に深さが出来る。立体となる。点が線に、線が面に、面が立体にと、高次元化する。つまり情報的に人類は次なる何かへと進化する。
— JUNE (@June_g_e) 2014, 7月 10
進化を遂げる毎に、今までの苦や困難や不可能は全く問題にすらならなくなる。常識、通常、真理がシフトし続けて行く。
2000年前と200年前を、200年前と20年前を、20年前と今を比べれば一目瞭然だろう。
よって懐古主義、現状至高主義は幻想であり、人間に幸いをもたらさない。
— JUNE (@June_g_e) 2014, 7月 10
だから真実の望みを設定し、そこに向かって歩かないと段々息苦しくなり、窒息する。だがそれは辛く見える、怖いものに見える。困難や不可能に見える。現状の外には知らない分からないが密林のように広がっているから。
そこで数多のものさしが必要なのだ。
欠片を集め錬成したあなただけのものさしが
— JUNE (@June_g_e) 2014, 7月 10
そのものさしを少しでも多くの人に作って欲しいから、僕は欠片を沢山ばら撒いておきたいんです。思考の過程を余さず羅列しておきたい。
それには一度に沢山の文章を項目毎にストックできるブログがやりやすい。
だって今読んでるこれ見辛いでしょ?しばらくしたら流れてっちゃうし。
— JUNE (@June_g_e) 2014, 7月 10
ということである。よって過去ブログはこの理念を満たさないので新たな場で書き始める必要があると判断した。
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4、ブログ運営のしやすさについて
運営しやすさについては以下を判断基準とした。
・編集画面とブラウザ(クローム)とOS(Mac OS 10.6.8)とPC(iMac11,3)の親和性
・編集画面のユーザビリティと自分のクセとの親和性
・デザイン編集機能の拡張性
・運営会社のセンスがJUNEのモチベーションを維持できるものかどうか
・非常に編集画面が見やすく、ブラウザやOS、PCとの相性は良いと言える
・余計な広告が無く、本文編集ボックスの周囲に文字が一切無いので集中力が切れにくい
・デザインはCSSでカスタマイズ可能
・画面のデザインや機能の名付けセンスが淡白で好ましい
アメーバ
・本文編集ボックスが狭い。デフォルトで文字サイズが小さい。iMac11,3の大きなモニタの利点を活かしきれない。
・広告が多く、機能へのリンクが本文編集ボックスの隣にベタづけされていて見づらい。汚い。
・こちらもデザインはCSSでカスタマイズ可能。
・画面がカラフルで稚拙。言葉選びも幼稚。マイページ、編集画面共に1分見ているとイライラしてくる。
以上によりアメーバでの運営継続は長続きしない、はてなは邪念にとらわれずストレスなく長文を書けると判断し、こちらで新たに運営することとした。何をするにおいてもモチベーションは非常に重要なファクタである。
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上記4点を統合的に判断し、はてなブログでまっさらからやり直す道を選択しました。
次回のテーマは「昨今の関東の天候」について思考したいと思います。